「絆」

東北での震災が最も大きな出来事の年。ナデシコの優勝は、スポーツにおける国家ナショナリズムを実感させられた。
この年に起きた震災で思ったことは、不幸の方が幸福よりも確率的に起きやすいのではないかということ。

というのも、不幸は、自発的なアクションを起こさずとも発生するケースが多いと思うからである。
例を挙げるならば、震災を含む偶発的な事故(飛行機の墜落や車両の脱線事故)等がそれに当て嵌まるだろう。大勢の人を巻き込むケースもこれらには多いように感じる。
これに対して一般的に幸福と考えられるものには自発的なアクションを求められるケースが多い。宝クジで1等に当選するためには、前提としてクジをどうにかして入手しなければならないし、幸せな結婚をするためには、自身が幸せになれる相手を見つけなければならない。目標の先端、延長戦上にある、理想的な結果のような存在とも捉えられるかもしれない。不幸な事象に対して、こちらは主観的、個人的な問題が多い気がする。1人が幸福になれば、他人も幸福になるの?ってところ。
ただ、これらも、自らが全くアクションを起こさずに引き起こされるケースも考えられる。偶然、当選未発表の宝クジを道で拾ってそれが当選したり、少女漫画特有のクッソベタな運命的な出会いとかがそれなんじゃない?(適当)

前述したケースを考えると、日々の日常ではアクションを起こさずとも不幸が発生する確率が潜在する。
また、不幸は1つの事象で大勢を巻き込むが、幸福とは主観的、個人的な問題、というところに確率を感じる。
不幸、幸福、どちらかの事象が起きる確率をイーブンと仮定した場合、不幸は大勢の人を巻き込むと、ここでは考えるので、不幸の方が影響力は高く、多くの人が不幸を感じる。結果、幸福よりも、不幸を感じる人の方がトータルでは多くなるといった具合。

実際は、幸不幸の確率を天秤にかけること自体が無理なため、これらの明確な答えは出るはずもない。
…考えるだけ無駄な気もする。
そもそも、人間における幸福とは何なのか?って話がクッソ難しいからね、仕方ないね…♂(幸福論)
客観的に見て、幸福そうな事象でも、当人からするとそうでもなかったり、その逆も然り。
本人の感性次第と言えば、それまでである気もする。

幸福論の研究は諸説あるので、今度読んでみよう(思い付き)
HLT、ALN、RSLのクッソいやらしい三大幸福論はマストか

コメント

やちひこ
2012年1月3日13:25

幸か不幸かなんて、個人の常識の尺度次第。物に溢れて心が、貧しくなってるって聞きますしね。
人生薔薇色。ピンチは、チャンス!!

獄卒
2012年1月4日7:29

>物に溢れて心が、貧しくなってる
これは難しい問題ですよね。
人類を幸せにするであろう技術の進歩があっても、心までは満たされない。
なら、技術の進歩は人類の幸せのためには必要ない?と言われるとそうでもないんですよね…
…まぁ
全てはチャンス♂(レ厨)

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